最終更新日:2025年01月17日
こんにちは、もっちと申します。50代になりましたが、これまで数多くの記事を書いてきました。長年培ってきたライティング経験を活かし、多角的な視点でまとめるのが得意です。今回は、かつて人気絶頂期を迎えながら、一度は活動を休止し、再び復活を遂げたお笑いコンビ「松本ハウス」さんの歩みをじっくりと見つめていきたいと思います。
- あだ名:もっち
- 趣味:テレビドラマ鑑賞、旅行、パン作り
松本ハウスとは? 〜逆境を乗り越えたお笑いコンビ〜
「松本ハウス」は、1991年に結成されたお笑いコンビで、メンバーは松本キックさんとハウス加賀谷さんのお二人です。所属は大川興業。ライブ活動を中心にキャリアをスタートした彼らは、やがてテレビに進出していきました。
特に注目を浴びたのが、若手芸人の登竜門とも称されたバラエティ番組「タモリのボキャブラ天国」への出演でした。ここで披露した「家族」をテーマにしたネタは、加賀谷さんの奇抜で体を張ったボケに加え、松本さんのクールなツッコミが絶妙に絡み合い、多くの視聴者の心を掴んだのです。また、「電波少年シリーズ」など数々のテレビ番組にも出演を重ね、1990年代当時は絶大な人気を博していました。
コンビの魅力 〜対照的なキャラクターが織りなす化学反応〜
- ハウス加賀谷さん:身長178cm、体重78kg。独特の動きや発想を持ち、体を張ったギャグで笑いを取る一方、時折冷静な発言をするギャップが魅力。
- 松本キックさん:身長174cm、体重62kg。ツッコミ担当で、加賀谷さんの奇抜なボケを冷静に受け止めつつも、的確なネタ作りを行う。作文や三国志の語り、競馬・競艇といった多彩な趣味がある。
コンビ名は、それぞれの要素から生まれたユニークなネーミングです。「ハウス加賀谷」という芸名は、障害者施設の名称によくある「〜ハウス」にちなむもので、一度聞けば忘れられないインパクトをもっています。
統合失調症による活動休止 〜苦悩とコンビの絆〜
しかし、人気絶頂を迎えた1990年代後半に、ハウス加賀谷さんの抱えていた統合失調症の症状が悪化していきます。中学時代から悩まされていた幻聴や自己臭恐怖症、高校時代には幻覚にも苦しめられ、やがて治療のために閉鎖病棟に入院する状況となりました。
結局、1999年に松本ハウスは活動を休止。加賀谷さんが16歳でグループホームに入所し、20歳で精神科病院に入院するという壮絶な経緯は、周囲には想像できないほど過酷なものでした。一方の松本キックさんも、相方の回復を待ちながら理解を示し続けたといわれています。こうして10年にも及ぶ長いブランクが生まれました。
「芸人になったときぼくは17歳でしたので、まるで社会のことを知らなくて、病気のことを言ったらクビになるんじゃないかって思っていたんです。」
—— ハウス加賀谷さんの言葉
加賀谷さんは若さゆえに病気を隠し、社会の理解も十分ではないなか、不安を抱えながらお笑いの世界で生きていたことを明かしています。そんな状況でも、一度は頂点を経験するほどの人気を獲得した背景には、松本ハウスという唯一無二の化学反応があったのでしょう。
松本ハウスが綴った闘病と絆の書籍
統合失調症への理解を深める上でも、当事者や支える側の視点がわかる書籍は貴重です。松本ハウスのお二人が出版した『統合失調症がやってきた』(イースト・プレス)や『相方は、統合失調症』(幻冬舎)は、加賀谷さんの闘病生活や松本さんの支え、さらにコンビの復活劇がリアルに描かれており、多くの読者に勇気を与えています。闘病中の心境を率直に語り、また周囲の理解と絆が回復への大きな力になったことが綴られているのです。
もし、松本ハウスの歩みや統合失調症について詳しく知りたい方は、これらの書籍を読んでみてはいかがでしょうか?
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活動再開と「JINRUI」 〜再び始動するまでの道のり〜
約10年もの休止期間を経て、加賀谷さんの病状が寛解したことをきっかけに、2009年にコンビは「JINRUI」という名義で活動を再開します。その後2011年には、再び「松本ハウス」として本格的に舞台へと戻ってきました。テレビ番組「バリバラスペシャル・笑っていいかも!?」への出演は、彼らの復帰を印象づける大きなきっかけとなり、多くのファンがその姿を見て喜びの声をあげました。
芸能界は日々新しいお笑い芸人が登場し、わずか数年のブランクでも取り残されるほど競争の激しい世界です。それに比べ、10年もの活動休止は相当なハンデになり得ます。にもかかわらず、再び脚光を浴びるに至った背景には、松本さんの絶妙なツッコミとネタ作りの才能、そして加賀谷さんの再びステージに立てるほどの回復力があったからこそでしょう。
「挑戦というと大それてますが、笑いというドリルを武器に、社会通念に小さな穴ぐらいは開けたいです。」
—— ハウス加賀谷さんの言葉
笑いを通じて社会の固定観念を少しずつ変えていきたい——。加賀谷さんは、統合失調症の当事者として講演活動を行いながら、そのような強いメッセージを発信し続けています。自身の体験から学んだことを、一人でも多くの人に伝えたいという想いが根底にあるのでしょう。
舞台やDVDで見る松本ハウスの魅力
今では彼らのライブやテレビ出演を待ち望むファンも多く、松本ハウスの新たなエネルギーが注目を集めています。もし映像でその姿を楽しみたいという方は、コンビの歩みを収めたDVDをチェックしてみてはいかがでしょうか? 舞台裏や彼らの復帰後のパフォーマンスを通じて、苦難を乗り越えてきたからこそ生まれる、深みのある笑いを堪能できるはずです。
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復活後の歩みと現在 〜アルバイトと芸人活動の両立〜
復帰後の松本ハウスは、精力的にライブやテレビ出演を続けています。加賀谷さんはアルバイトと芸人活動を両立し、1日10件ほどの配達をこなしながら、再びお笑いの舞台へ立つ時間を確保しているといいます。そうした地道な努力があってこそ、ステージ上での明るい姿があるのだと感じられます。
一方の松本キックさんは、加賀谷さんを支えながら、自身もツッコミとしての腕を磨き続けています。激しいボケを封印せざるを得ない時期もあったようですが、二人の立ち位置や演出を工夫することで、無理のない形でコンビの笑いを取り戻しているのです。
再注目されるきっかけとなったドキュメンタリー番組
人気絶頂期の彼らに密着し、葛藤や苦悩を映し出したドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」(「人生と笑いと震える手 ~相方が心を病んだ時~」)が再び注目を浴びることもあります。笑いの裏にあるリアルな苦しみをあえて見せることで、統合失調症を含む精神疾患についての理解を深める貴重な機会になりました。
松本ハウスが伝えるメッセージ 〜笑いで社会を変える〜
長い休止期間、そしてそこからの復活劇は、当事者だけでなく多くの人に「諦めなければ再び歩み出せる」という希望を与えました。統合失調症をはじめとする精神疾患に対する社会の理解は、まだまだ十分とはいえません。しかし、加賀谷さんは自らの講演活動を通して病気の実情を語り、松本さんはそのサポートをしながら二人で笑いを生み続けています。
加賀谷さんの言う「笑いというドリル」は、固く閉ざされた偏見や先入観に穴を開ける力があるのだと、多くの人に伝わっているはずです。笑いは、言葉や理屈を超えて人の心をつなぐ大きな力を秘めているからこそ、統合失調症を語るうえでも欠かせない要素になっています。
社会に小さな風穴を開けるために
お笑いコンビとして再び脚光を浴びることに成功した松本ハウスですが、その舞台裏には今なお試行錯誤があるのかもしれません。しかし、彼らは「社会通念に小さな穴ぐらいは開けたい」という思いを掲げ、その一歩を踏み出し続けています。たとえ病気や障がいがあったとしても、人は何度でもやり直せる——彼らの生き様はそう教えてくれるのです。
まとめ 〜逆境を乗り越えた先にある笑いの力〜
休止期間を経て、再び舞台へと戻ってきた松本ハウス。彼らは自身の経験を通して、統合失調症への理解促進に取り組むと同時に、私たちに笑いを届け続けています。ネタそのものは以前のように体当たりではないかもしれませんが、そのぶん、より奥行きのある笑いを提供しているのです。コンビを支える二人の強い絆は、単なる芸能エピソードを超え、社会全体への大切なメッセージとなっています。
加賀谷さんの「社会通念に小さな穴ぐらいは開けたい」という言葉は、病気や障がいだけでなく、あらゆる逆境を抱える人々へ向けたエールでもあるでしょう。人を笑わせるという行為が、そのまま社会を軽くする可能性を秘めていると感じずにはいられません。これからの松本ハウスの活躍が、もっと多くの人に勇気と笑顔をもたらすことを願ってやみません。