最終更新日:2025年01月17日
初めまして、もっちと申します。ライティングの世界でいろいろな記事を手掛けてきましたが、やはり“人”の物語を探求するのは楽しいですよね。私の場合、長い経験を活かして、一つひとつのエピソードを丁寧にまとめるのが信条です。今回は、1990年代後半から2000年代初頭にかけて一世を風靡したお笑いコンビ「パイレーツ」について、その魅力と現在の姿をじっくりひもといていきましょう。
- あだ名:もっち
- 趣味:テレビドラマ鑑賞、旅行、パン作り
パイレーツとは? “だっちゅーの”旋風でお茶の間を席巻
パイレーツは、浅田好未(あさだ よしみ)さんと西本はるかさんによる女性お笑いコンビ。1990年代後半に大人気を博したバラエティ番組『ボキャブラ天国』への出演がきっかけで、一躍スターダムにのし上がりました。とりわけ、胸を強調する「だっちゅーの」ポーズは社会現象と言えるほどの流行となり、幅広い世代が真似をするようになりました。
彼女たちの芸風は「巨乳を前面に押し出しつつ、明るくキャッチーなフレーズやポーズを繰り出す」という非常にインパクトのあるもので、1998年の新語・流行語大賞を受賞するまでに至りました。しかし、その強烈なイメージが先行し、本来は女優志望だった彼女たちにとっては、喜びと葛藤の入り混じった瞬間でもあったようです。
結成秘話:高校時代のスカウトが始まり
浅田さんと西本さんは、高校時代にそれぞれスカウトを受け芸能界入り。当初はソロ活動をしていましたが、後に同じ事務所に所属し、事務所の意向もあってコンビ結成へと至ります。コンビ名「パイレーツ」は、当時宝塚歌劇団で上演されていた『黄金の海賊』にちなんで名づけられたといわれています。
このように華々しい始まりを見せた彼女たちは、「西本さんが浅田さんにネタを耳打ちする際に胸を強調するポーズをとったこと」から生まれた「だっちゅーの」で一躍お茶の間の人気者となりました。子どもから大人まで、少しおふざけ気味に真似したくなるそのポーズは、当時の空気感と相まって爆発的なブームとなったのです。
人気絶頂期と“だっちゅーの”のインパクト
パイレーツはその後、様々なバラエティ番組やCMに出演するようになり、まさに人気絶頂の時期を迎えました。大島渚さんや鈴木史朗さんなど、一部の審査員から高得点をもらう一方で、お笑い界からは「巨乳ネタ頼み」などと低評価されることも少なくありませんでした。評価の分かれる芸風ではあったものの、世間からの注目度は高く、当時はテレビをつければ彼女たちを見かけるほどだったといわれています。
電撃解散の真相とそれぞれの道
しかし人気絶頂であったにもかかわらず、パイレーツは2001年に電撃解散を発表します。西本さんは女優業に専念したいという思いを強く抱いていたことからコンビ活動を終了。突然の解散にファンは驚き、大きな衝撃を受けました。その後、浅田さんは一度「新パイレーツ」を結成するも、2004年には再び解散。結果的に、この“パイレーツ”という名称での活動は極めて短命に終わってしまいました。
「お笑いやりたい気持ち、1ミリもなかった(笑)」――これは解散後のインタビューで西本さんが語った言葉です。実際、女優やタレントとしての道を志していたため、“お笑い芸人”としての姿に違和感を持っていたのかもしれません。
一方で、浅田さんはタレント活動だけでなく、アパレルブランド「Affection」のプロデュースを手掛けるなど、実業家としても才能を開花させています。パイレーツ解散後の二人の歩む道は、まったく異なるものでしたが、それぞれが自分の可能性を模索した結果だと言えるでしょう。
浅田好未の現在:タレント&実業家として多方面に活躍
そんな元パイレーツメンバーの浅田好未さんは、1979年8月26日生まれ、東京都出身。血液型はO型で、趣味は料理やヨガというヘルシー志向な一面を持っています。パイレーツ時代はボケ担当ながら、その明るいキャラクターと笑顔で多くのファンを獲得しました。
解散後はタレントとしてテレビ番組に出演するほか、ブログやInstagramで日々の生活や仕事の様子を発信。特に、アパレルブランド「Affection」のプロデュースに注力し、実業家としての手腕も発揮しています。また、自身の会社をタレント事務所として機能させているというから、経営センスもバッチリ。さらに、ベジフルビューティーアドバイザーの資格を取得し、料理や美容に関する情報を積極的に発信している点も注目に値します。
2024年現在も変わらずタレント活動を続けており、時折テレビ番組などでパイレーツ時代の裏話を披露することも。また、来栖あつこさんや吉井怜さんとの交友関係もオープンにしており、仕事だけでなくプライベートも充実している様子がうかがえます。
西本はるか 写真集にも注目!
パイレーツ解散後の西本さんが女優やタレントとして活動していた頃の一瞬を捉えた写真集は、今でもファンの間で根強い人気を誇っています。当時の美貌やクールな雰囲気を存分に味わえるアイテムですので、気になる方はチェックしてみるのも面白いですよ。
西本はるかの現在:歯科助手として新たな人生を
続いて、西本はるかさんは1978年4月21日生まれ、広島県出身。血液型はA型で、趣味は旅行や映画鑑賞とされています。パイレーツ時代はツッコミ担当で、「だっちゅーの」ポーズを考案した張本人。解散後は女優やタレントとして活動を続けながらも、仕事のオファーが思うようにいかない時期があったといわれています。
そして2023年11月時点で歯科助手として働いていることが報じられ、テレビ番組に出演した際は「30代が一番辛かった」と当時を振り返っていました。芸能界で苦労した経験もあってか、今は歯科助手という立場で穏やかな日々を送っているそうです。かつての華やかな舞台とは異なる道ではありますが、自分らしく生活できる環境を選んだのだと考えられます。
興味深いのは、あるテレビ出演をきっかけに、11年前に発売したセクシービデオがランキングで再び上位に浮上したというエピソードです。時代の変化とともに、女性のセクシュアリティや生き方に対する認識が大きく変わってきています。西本さん自身は、その潮流を少し照れつつも受け入れ、今はご自身の生活を大切にされている印象を受けます。
浅田好未 写真集で感じる“今と昔”
浅田好未さんの写真集もまた、パイレーツ時代とは一味違う魅力を堪能できると評判です。今もタレントや実業家として輝き続ける彼女の、若かりし頃の素顔が垣間見える一冊。昔から培ってきた愛嬌や明るさを写真で楽しめるとあって、コレクションアイテムとしても興味深い存在かもしれません。
パイレーツのレガシー:短期間で残した大きな足跡
わずか数年という短期間での活動ながら、パイレーツは日本のお笑い界に鮮烈なインパクトを与えました。1998年の新語・流行語大賞を受賞した「だっちゅーの」は、その後の女性芸人のスタイルにも少なからず影響を与えたと考えられています。単なるセクシャルアピールではなく、身体的特徴を武器にして笑いへ昇華する手法は、当時としては斬新かつインパクトの強いものでした。
もっとも、“芸人”という枠組みの中で評価されることへの難しさも彼女たちが直面した事実です。周囲の目は厳しくもありましたが、それでも世間の注目を一身に集めた経験は、解散後の二人の人生観に大きな糧を与えたのではないでしょうか。
パイレーツにまつわるQ&A
質問 | 回答 |
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パイレーツが活動していた期間は? | 1996年頃に結成し、2001年に解散するまでの約5年間。 |
「だっちゅーの」以外のネタは? | 「だっちゅーの光線」「練乳ビーム ピュッピュッピュッ」「Have a nice day.」など、多彩な持ちネタがあった。 |
解散の理由は? | 西本さんが女優業に専念したかったため。 |
現在の活動は? | 浅田さんはタレント・実業家として活動。西本さんは歯科助手として働いている。 |
まとめ:20年以上経った今も記憶に残る“だっちゅーの”
1990年代後半から2000年代初頭にかけて、わずかな期間で強烈な印象を残したパイレーツ。「だっちゅーの」は一発屋の代名詞のように語られることも多いですが、実際には新語・流行語大賞を受賞するほどの大きなブームを生み出し、日本中から注目を集めました。評価の是非はあれど、解散から20年以上経った今でも語り継がれていることからも、そのインパクトがいかに大きかったかがうかがえます。
浅田好未さんはタレントや実業家として、多彩な才能を開花。西本はるかさんは歯科助手という新天地で活躍しながら、芸能界とはまた違う人生を歩んでいます。派手なステージから離れてもなお、多くの人に“あのときのパイレーツ”を思い出させる存在であることに変わりはありません。女性芸人の在り方、そして芸能界におけるセルフブランディングの一例としても、パイレーツの物語はこれからも色褪せることなく、語られ続けるでしょう。